エゼキエル書13章1〜14節
「自分の心ではなく、主の言葉を」
エゼキエル13章は、偽預言者に対する神様の裁きが語られている。バビロンに強制移住させられた人々の中には、多くの預言者と呼ばれる人たちがいた。人々の不安を煽ってお金を巻き上げていた質の悪い連中もいたようだが、真面目に預言者活動をしている者たちもいた。
預言者として問われなければならないのは、本当に神様が預けた言葉を語っているかどうかである。真面目に活動していても人間の言葉を語っていたら、彼は偽預言者である。人は聞いたようにしか語ることはできない。神様の言葉を語るためには、神様の言葉を聞かなければならない。
神様は「イスラエルの預言者ども」に対して、「自分の心のままに預言する者どもに向かって、主の言葉を聞けと言え」と語られた(2)。偽預言者たちは、「人間の心」を聞いただけで、神様の言葉を聞いていなかった。
バビロンでの移住生活は過酷だった。人々はエルサレムに帰ることを心の支えとした。エルサレムは神の都であるのだから、神様が必ず守ってくださると信じていた。しかし、それは「人間の心」の産物であり、神様の御心ではなかったのである。神様はバビロン捕囚によって、その苦しみの中で人々と出会い、人々を新しく造り変えようとされていた。
神様が偽預言者たちに「主の言葉を聞け」と命じた、そのメッセージは何なのか。それは、苦しみの中で神様を探し求めることである。バビロン捕囚という絶望的な環境には、神様はいないように見える。しかし神様はいてくださる。神様は苦しみに耐えられるように私たちを支え、苦しみを通してご自身のことを教えてくださる。苦しみから逃れることだけが神様の御心ではない。神様は苦しみの中で私たちに出会おうとしておられる。神様を求めて、神様の言葉を聞こう。
「自分の心のままに預言する者どもに向かって、主の言葉を聞けと言え。」(2節後半)