エゼキエル書27章25〜36節
「自惚れの罠」
ツロは地中海に面した商業都市であった。海路はタルシュシュ(スペイン)、イタリア、ギリシア、北アフリカまで貿易船が出ていた。陸路はエジプト、アッシリア、バビロンなどと取引があった。世界で一番美しいもの・高価なものは、ツロの手の中にあった。ツロは自分の美しさに自惚れて言った。「私は美の極みだ」(3節:新改訳2017)。
「うぬぼれ」は「自惚れ」と書く。自分と他人を比較して、自分が優越感を感じなければ気が済まない。自分の優越感のために、他人の悪評を吹聴する。人の幸せが我慢できない。
他者の失敗や不幸を喜ぶのも自惚れのサインである。 ツロはイスラエルが滅んだ時、「あはは」と笑った(26:2)。イスラエルを通る品々に関税がかかっていたが、イスラエルが滅んだことで、さらに儲かると喜んだ。
自惚れは神様に対する高ぶりであり、人を不幸にさせる罠である。神様は「東風は海の真ん中でおまえを打ち破った」と、ツロの栄光が取り去られることを預言した(26)。
自惚れの罠から逃れるために、私たちはみことばの光によって自分の姿を照らされなければならない。ツロ審判の背後には、神の民に対する神様の愛がある。神様はイスラエルを愛しておられたので、神の民を侮辱したツロを裁かれた。
「神がまず私たちを愛してくださった」とあるように(1ヨハ4:19)、神様は私たちより先に「まず」愛してくださる。裁きを受ける者でも、心を閉ざして背いている時でも、神様は「まず」私たちを愛してくださる。
みことばの光によって、神様の愛を受け取ろう。神様の愛のまなざしを見出そう。私たちは自分の自惚れや他人との比較による優越感を求めやすい。しかしその賞賛は幻想だ。神様の真実な愛を受け取り、自惚れの罠から逃れよう。
「私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。」(第1ヨハネ4:19)