エレミヤ22章1〜9節

「主のことばを聞け」

 

 エホヤキン王はバビロン軍に白旗を上げた。ゼデキヤは、バビロンによって代理として任命された王であった。それなのに、ゼデキヤは使いを送ってエレミヤに語る。「どうか、私たちのために主に尋ねてください。バビロンの王ネブカデレザルが私たちを攻めています。主がかつて、あらゆる奇しいみわざを行われたように、私たちにも行い、彼を私たちから離れ去らせてくださるかもしれませんから。」(21:2)

 ネブカデレザルによる攻撃という、国家の危機が迫っている。のどから手が出るほど、神様の助けが欲しい状況である。それでゼデキヤは、神の奇しい御業=奇跡による一発逆転をエレミヤに祈るように要請するのである。

 ゼデキヤは、エレミヤがこれまで語った言葉を知っていたはずである。エレミヤは「北からの災いが来るから、悔い改めなさい」と繰り返し語った。ネブカデレザルの侵攻により、その預言は現実となった。ならば今こそ、悔い改めなければならない。それなのにゼデキヤは、悔い改める様子もなく、ただ奇跡による問題解決を願うのである。

 私たちは“問題がなければ自分中心、困った時には神頼み”ということが多いのではないだろうか。困った時の神頼みも、ヒゼキヤのように“奇跡によって一発逆転でお願いします”という頼み方をしてしまう。これでは、いつ、自分の罪を神様に対して詫びるのだろうか。

 神様は私たちに悔い改めを求めておられる。罪を認め、神に従って生きるのである。「主のことばを聞け」「公義と正義を行い…」と主はゼデキヤに語られる。私たちも他人事ではないだろう。自分の願いを神様に押し付けるばかりで、悔い改めて方向転換することの少ない者である。“困った時の神頼み”ではなく、“困った時には悔い改め”なければならない。

 

「ダビデの王座に着いているユダの王よ。…主のことばを聞け。」(2