ヨハネ15:110 「豊かに実を結ぶ人」

 

 4節「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。」

 

 

 イエス様は「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です」(5)と語りました。イエス様というぶどうの木に、イエス様を信じる人たちが無数の枝のように結びつき、豊かな実を結ぶことを思い描いていたのでしょう。

 枝にとって決定的に重要なことは、木と結びついていることです。私たちはイエス様と自分の関係が、生きるか死ぬかの重要性をもつことをどれくらい認識しているでしょうか。イエス様は繰り返し、木と離れているために実を結ばない枝の危うさを警告します(2,6)

 とは言え、イエス様を信じる歩みは、イエス様にしがみつき、自分の実力で実を結ぶのではありません。イエス様は3節で、あなたがたはみことばによって「もうきよい」と語りました。みことばは、罪人の私たちに神様を信じ続けさせます。みことばによって私たちは、最後には「きよい」私とされるのです。イエス様は、その完成を先取りして「もうきよい」と言われました。みことばの力によって、私が神様と結び合わされるのです。

 その応答として、「わたしにとどまりなさい」と言われるのです。イエス様との時間、みことばと祈りを大切にします。すると神様は、神様を喜ぶという実を私たちの人生に結ばせてくださいます。私が「神様はすばらしい」と喜ぶ。それこそ、神の栄光を表すことに他なりません(8)。私たちは、このために生かされています。