ヨハネ19:17〜22「三本の十字架」
18節「彼らはそこでイエスを十字架につけた。」
イエス様は「どくろの地」、ゴルゴダで十字架につけられました。その様子は「彼らはそこでイエスを十字架につけた」(18)と記録されるだけで、詳細は語られません。しかし十字架は激痛と呼吸困難の刑であって、磔にされたイエス様の姿は顔をしかめるものだったはずです。こうして人間は、神の御子であり真の王であるイエス様を最後まで受け入れず、拒絶したのです(1:11)。
しかしイエスを受け入れた人々には、「神の子どもとされる特権」が与えられました(1:12)。「受け入れる」とは、自分が席を詰めて「どうぞお座り下さい」と隣に席を設けるように、自分自身を開いてイエス様を迎えることです。しかし私たちは、自分の小さな都合によって、イエス様が入って来ないように壁を作ってしまうのではないでしょうか。
聖書は、そんな私たちの姿を「羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った」(イザヤ53:6)と記します。ピラトもユダヤ人たちも、自分のプライドや都合ばかりを気にして、イエス様に感心を払う人は誰もいません。
しかし「主は、私たちのすべての咎を彼に負わせ」ました(53:6)。神様自らが、救いの道を造ってくださったのです。だから私たちはイエス様を「受け入れる」ことで、恵みによって罪を赦され、神の子どもとされるのです。イエス様を受け入れ、この祝福をいただきましょう。