ヨブ記30章16〜31節
「まとわりつく悩み」
「しかし今は、私よりも若い者たちが、私をあざ笑う。」(1)ヨブと三人の友人たちが論争している時、その周りにはギャラリーがいた。ヨブを慰めようと駆けつけた者もいただろう。反対に、ヨブに恨みを持つ者たちもいた。彼らはヨブをあざけり、笑いの種にした。弱り果てたヨブに、更に苦しみを背負わせようとした。
この「若い者たち」とは、ヨブのしもべの子どもたちであった。彼らは貧しく、住む家もなく、仕事もなかった。ヨブは彼らに仕事を与えたが、彼らは役に立たない人たちだった。それでもヨブは彼らを雇い続けた。そのようにヨブから恩を受けて来た人たちであったが、当人たちは“ヨブに苦役をさせられた”と、被害者意識を持っていた。こういう人たちによって、ヨブは輪に輪をかけたような苦しみを背負わされた。
ヨブは限界だった。肉体は病によって休むことなくむしばまれ、骨をえぐられるような痛みが襲ってくる。巨大な着物に巻き付かれるかのように、病にがんじがらめになっていた。ヨブは神様に叫んで言った。「あなたは、私にとって、残酷な方に変わられ、御手の力で、私を攻めたてられます。」(21) “神様、あなたは変わってしまいました…”この言葉は、ヨブの信仰が消えかけていることを示している。ヨブは神様に対して失望してしまった。
「それでも廃墟の中で、人は手を差し伸べないだろうか」(24)と語るように、ヨブは神様とつながり続けていた。神様がヨブを支えておられたからである。ヨブ自身は、神様に期待できなくなっていた。しかし、そんなヨブを神様が支えていてくださった。
信仰とは、主イエスによって与えられる(創始者)。自分の心の強さではない。主イエスは私たちに与えた信仰を支え、完成させてくださる(完成者)。私たちがすべきことは、神様がくださった主イエスから目を離さないようにすること。神様が差し出してくださった御手がある。その御手を握り返して、神様に応答しよう。
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。」(ヘブル12:2)