ヨブ記37章14〜24節
「知りえないことをなさる神」
ヨブと3人の友人たちの議論の後、エリフが口を開いた。エリフは彼らの議論を聞いていたが、自分が年下だったので黙っていたと言う。エリフの言葉が、ヨブにどんな影響を与えたのかはわからない。しかし少なくともヨブ記の読み手にとって、エリフの言葉は、42章でヨブが悔い改めるまでの道筋を示している。
ヨブは、“自分の罪はいけにえによって赦していただいている”という確信に立ち、“罪の罰として苦しみが与えられたのではない”と信じた。そして神様に信頼しているからこそ、神様に“どうして苦しみが与えられたのか”と尋ねている。ここまで、エリフはヨブと同じ立場に立っている。その上でエリフは、ヨブに“神様にへりくだらなければならないのではないか”と語っている。
エリフが問題にしたのは、ヨブが神様の恵みの上にあぐらをかき、神様の前にふんぞり返っているという姿勢であった(36:18)。エリフは雷を例えに出して、“あなたは雷がどのようにひらめくか、知っているというのか”と語る(15)。神様は、「私たちの知りえない大きな事をされる」お方ではないか(5)。だから、私たちは神様を待たなければならないし(35:14)、神様のなさることに耳を傾け、じっと考えなければならないのではないか(37:14)。
「だから、人々は神を恐れなければならない。神は心のこざかしい者を決して顧みない。」(24)「心のこざかしい者」とは、自分が「こうだ」と思ったことが絶対正しいと信じることである。人の言葉に聞く耳を持たず、神様に対しても自分の我を張ってしまう。ここにヨブの罪が明らかになった。ヨブは神様に近づくあまり、神様に対して高ぶったのであった。
神様を恐れることが、神様を信じる姿勢の基本である。神様に願いつつ・御心を尋ね、時は今だと思いつつ・神様のタイミング待ち望み、不可能と思っても・なお期待する。神様を恐れつつ、神様に信頼し・期待して、人生を預ける者でありたい。
「神は、御声で驚くほどに雷鳴をとどろかせ、私たちの知りえない大きな事をされる。」(5)