ローマ人への手紙16章1〜20節

「神の同労者」

 

 ローマ人への手紙を結ぶにあたり、パウロは26名の名前を挙げている。その中にはローマ人もユダヤ人も、男性も女性も、奴隷の名前も見受けられる。これらの人たちが「主にあって」一つにされている姿に、教会の一致と多様性を見ることができる。

 パウロは、教会に分裂とつまずきをもたらす者を警戒するように命じる(17)。すでに教会の外には迫害の嵐が吹き荒れている。教会内においても警戒しなければならないとは、重荷であっただろう。しかし教会が主イエスによって一つであり続けるためには、必要な戦いであった。私たちも教会の一致を壊してしまう動きに警戒しなければならない。

 パウロは「善にはさとく、悪にはうとくあって欲しい」と語っている(19)。「善にはさとく」とは、善を行う知恵・悪を見抜く知恵をつけること。反対に「悪にはうとく」とは、人をおとしめる悪知恵は知らなくていいということである。

 教会を守るために、悪を見抜く知恵を身につけたい。教会の会話の中には時々、“当たっている話だが、毒をはらんでいる”ものが出ることがある。話した当人は教会を分裂させようと思っていなくても、その話題の取り扱い方によっては良くない結果に至る可能性がある。それを聞いた人が、その話題の危うさに気づき、正しく・賢く振る舞うならば、教会は守られる。しかし逆に取り扱い方を誤り噂話にしてしまうと、教会に大きな傷をも与える。悪を見抜き、教会全体に心を配れる“知恵のある人”が求められる。

 無論、内容によっては然るべき人に報告・相談する必要もある。しかし基本的には、そのような毒をはらんだ話題や語っている本人から「遠ざかる」ことが求められる。

 毒をはらんだ話題を他言しないでいるとモヤモヤする。しかし自分の内にとどめ、とりなしの祈りへと向かうならば教会は守られ、その人はキリストに仕える“神の同労者”とされる。神様は、“神の同労者”を用いて「サタンを踏み砕いて」くださる。

 

私は、あなたがたには善にはさとく、悪にはうとくあってほしい、と望んでいます。」19