ローマ人への手紙2章1〜29節

「他人をさばく人よ」

 

  パウロはローマの教会に手紙を書いて、自分が受け取った福音を宣べ伝える。福音は「救いを得させる神の力」であって、信仰による義が啓示されている(1:16,17)

 パウロは、聖書を知らない・神を信じない人たちを「ギリシア人」と呼んでいる。1章では彼らの罪について語る。神の存在は自然界においても、人間の良心にも明らかにされている。人は悪事に対していずれ神の裁きが下ることを知っている。

 2章では、聖書に親しみ・神に従って来た「ユダヤ人」の罪を語る。彼らの罪は、「他人をさばく」ことに表れる(1)。神に忠実に生きようとすると罪に対して敏感になる。そうやって自分を律して神に従うつもりが、かえって他人をさばくことになる。

 パウロは信仰者に語りかける。「神の慈愛があなたを悔い改めに導くこと」を知っているか?と。もしかしたら私たちは、悔い改めくらい自分でできると思っているかもしれない。しかし実はそうではなく、罪に気づき・悔い改めるのは、神様のあわれみによるのだ。神の恵みなしに、人は悔い改めることすらできない。

 私たちは神の「豊かな慈愛と忍耐と寛容」を「軽んじ」ないで重く受け止めよう。私たちは神様に愛されていることを知りながら、“あれが欲しい”、“こんなはずじゃない”と満足できない。すぐに神様を押しのけて、自分が居座ってしまう。そういう現実をきちんと受け止めようとすることがスタートラインである。その時に、“情けない”とか“仕方ない”という自己評価で終わらないで、そういう自己評価さえも脇において、神様が私のことを広い心で受け入れ、我慢しながら愛し続けていてくださることを感謝する。そうやって、福音に生かされる道を選ぶ。

 神は「ひとりひとりに、その人の行いに従って」裁きを行う(6)。その裁きにおいて、無罪宣告をいただく保証は何か。洗礼ではない。立派な信仰生活でもない。その保証は、主イエス・キリストだけである。自分の心と身体で、主イエスに近づこう。

 

「それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。」4