創世記1章1〜31節
「初めに、神が」
「初めに」とあるように、神様は天地が存在するよりも前から存在しておられた。天地の中で神様が生まれたのではなく、神様によって天地が創造された。万事、その物事の初め・きっかけは神様である。詩篇139篇には、ひとつのいのちが母の胎内に宿ることにおいても、その初めは神様の御業によることが賛美されている。私というひとりの人間は、神様によって存在したのである。
「創造する」とは、材料を使わず・神の言葉によって・存在しないものを存在させる神の偉大な奇跡である。木材と釘で犬小屋を作るのとはまったく別次元である。聖書は天地が6日間で完成したと言う。私たちは神の奇跡の力を知ることなしに、天地創造を信じることはできない。ヘブル11:3にあるように、これは「信仰によって」受け止めるのである。
私たちは自分の救いを「信仰によって」受け止めている。イエス・キリストを知らない私であったのに、神様の言葉に触れることを通して、神様が私に信仰を「創造して」くださった。私の救いにおいても、「創造する」という神様の奇跡が行われたのである。実に、天地を造られた創造主が、私の救い主なのである。
「非常に良かった」と神様は天地を喜ばれた。私も神様に喜ばれているのであるが、その喜びは罪によって遮断されている。イエス・キリストを信じることで神の子として迎えられ、その時もう一度「あなたはわたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」(マタイ3:17)とわかるようにしていただけるのである。
「初めに、神が天と地を創造した。」(1節)