テサロニケ人への手紙第一2章17〜20節
「誇りの冠」
パウロは、神が自分に与えた働きとして、福音を伝え・イエスを信じた人々の信仰を強め励ました。それはパウロに「日々私に押しかかるすべての教会への心づかい」(2コリント11:28)という重荷となったが、パウロは聖霊に助けられ、懸命にその責任を果たそうとしている。
パウロはテサロニケでの伝道をしている時、迫害者の手から逃れるために、ある夜ベレヤへと送り出された。パウロを糾弾する迫害者の運動は、突如として起こった、予想外の展開だったのかも知れない。またはパウロ自身が、テサロニケ教会がひとり立ちするためにはもっと時間が必用だと感じていたのかもしれない。パウロは、テサロニケの町を断腸の思いで離れた。まさしく「引き離された」(17)のである。
パウロはテサロニケから離れた後も、何とか再訪の道を探ったが、ことごとく閉ざされた。その理由はわからない。パウロは手紙を通して、イエスが再び来られる時まで信仰を持ち続けるように励ましている(19、20)。それが、パウロに与えられた神に対する責任だからである。
テサロニケ教会の信徒たちも、神から預けられた務めがある。それは、イエスを信じ続けるということである。神は、その責任を果たすために、教会に牧師を立てられた。信徒は、牧師が語る神のことばを通して、信仰の励ましを受ける。牧師と信徒は、それぞれに与えられた務めを果たすべく、互いに互いを必要とする・神を中心とした関係である。
「私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのはだれでしょう。あなたがたではありませんか。」(19節)