箴言20章24〜30節
「人の歩みは主による」
「人の歩みは主によって定められる」と言われる(24)。これは、“どんなに努力しても、または怠けていても、どうやっても神様が用意した結末になる”という意味ではない。この言葉は、“神様が私たちを愛して、私たちの人生に関わっておられる”と教えている。
私の知らないところで、神様が私の人生に関わっていてくださる。困った時だけ頼む神様ではなく、私の行動を監視する神様でもなく、私たちを愛して関わっておられる神様である。たとえば、
たくさん努力したのに残念な結果に終わる場合がある。失望し、自分を責め、誰かのせいにしたくなる。しかし、神様が関わっておられると信じる時、まだ諦めるのは早い、反省して・祈って・もう一度チャレンジしようという力が与えられる。また反対に、うまくいった時には、神様が良い結果をくださったと感謝し、携わってくれた人たちへも感謝できる。神様を恐れて「人の歩みは主によって定められる」と信じることは、結果的に成功の時に自分を高ぶらせることから守られ、失敗の時に諦めずに立ち上がる力をいただくことができる。
神様を恐れる人は、「相談して計画を整え、すぐれた指揮のもとに戦いを交え」る(18)。戦力を過信して無計画で戦うことは愚かなことである。誰かと相談しながら計画を立て、その計画を指揮する者たちに正確に伝えて全体を動かさなければ、戦いには勝てない。良く整えられた計画は神様に用いられ、神様の祝福をもたらす。結果を神様にゆだね、今できる最善の計画を立てよう。
神様を恐れる人は、自分の愚かさを認めてへりくだる。「多くの人は自分の親切を吹聴する」とある。自分の親切を吹聴するために助けたわけではないが、助けたら言いたくなってしまう。ピュアな動機で助けたのに、結果的に名声を求めてしまう。そのような愚かさを持っていることを認め、神様を恐れてへりくだり、人や出来事を優しい目で見られるようになりたい。
「人の歩みは主によって定められる。人間は、どうして自分の道を理解できようか。」(24)