詩篇16篇1〜11節
「満ちあふれた喜び」
(岡村又男師)
私は戦後間もなく、14歳の時にイエスを信じました。戦後の70年を、私は信仰を与えられて歩むことができました。
この詩篇には3つの「喜び」があります。①「地にある聖徒たち」がいる喜びです(3)。神を信じる、同じ信仰を持つ者がいる。今日でも、罪の中から呼び出された「教会」があります。その交わりを喜びつつ大切にしたいものです。
②次に「私の前に主を置いた」「主が私の右におられる」という喜びです(8)。「主が私の右におられる」というのは、神が我らと共におられる恵みです。神がそのようなお方だから、私も神に従うことができます。自分の人生が真っ暗になっても、神は私たちと共にいてくださいますから、「私はゆるぐことがない」のです(8)。
③最後に、主は「私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません」という喜びです(10)。神の恵みにより、死もよみも墓もすべては破壊され、永遠の祝福に導かれます。それは「いのちの道」です(11)。これらの言葉の通りに、イエスは死から復活されました。教会はこの日を覚えて、今まで二千年の間、礼拝をささげてきました。礼拝こそ、永遠のいのちへの門なのです。
今、地球には様々な問題があります。地球は永遠ではありません。最後の日が来るのです。しかし神は、ご自身を信じる者たちの労苦を無駄になさることはありません(1コリント15:58)。神を信じるには、喜びが「とこしえにあります」。
「あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。」(11節)