テサロニケ人への手紙第一4章1〜12節

「主に喜ばれるために」

浜田献ブラジル宣教師

 

 テサロニケ人への手紙は、主イエスが再び来られる「再臨」がテーマとして扱われる。当時の教会には「再臨」に対する行き過ぎた教えや誤った考えによって混乱が生じていた。今、新型コロナウイルスの感染が広がる中、「再臨」が近いと感じている方がいるかもしれない。しかし、私たちは慌てる必要はない。落ち着いて主を信じていれば、「再臨」は大いなる喜びの日とされる。

 

 まず、神に喜ばれるために、私たちがどのように歩むべきかが問われる(1)。自分を喜ばすためでなく、他人を喜ばすのでもなく、神に喜ばれるための歩み。人から歓迎されないことでも、神に喜ばれるならば、それをする。それがキリスト者の歩む道である。

 

 1.聖なる者とされること:聖くなることは神の御心である(3)。聖くなるとは、自我が崩され、キリストご自身が豊かに形造られていくことである。私たちは古い性質を引きずりやすい者であるが、悔い改めを通して、新しくされることができる。聖霊の力と導きによって、螺旋階段を上るように聖くされていく。

 

 2.兄弟愛:テサロニケ教会においては十分な兄弟愛が実践されたと言われる(9,10)。これは教会に対する最高の賛辞であろう。人から強いられてではなく、聖霊に動かされ、自ら進んで兄弟愛を実践したのである。この時、教会は「極度の貧しさ」と「激しい試練」の中にあったが(Ⅱコリ8:1)、互いを思いやり・支え合う思いに満ち溢れ、「自ら進んで…力以上にささげ」たのである(8:3)

 

 3.落ち着いた生活:ある人々は「再臨」に対する切迫感から働くことを放棄し、他人におせっかいを焼いていたようである。パウロはこれを戒め、自分の手で働いて「落ち着いた生活をすることを志」すよう命じている(11)。現在、新型コロナのことで多くの人が希望を見いだせなくなっている。しかしこの時、刹那的な生き方に陥らないようにしたい。私たちは神から与えられた生活がある。仕事や学び、または家庭においてなすべきことがある。神がくださった能力や賜物を用いて主の栄光を現し、主に喜ばれる歩みをしよう。

(説教者:浜田献宣教師 まとめ:佐野師)