第1サムエル記8章1〜22節
「私たちに王をください」
サムエルは預言者として働き始めた頃、イスラエルはペリシテ人に大敗した。その時、神の箱が奪われてしまう。祭司エリはその知らせを聞いてショックのあまり命を落とす。イスラエルの民が弱りきった時代、サムエルはみことばと祈りによってイスラエルの信仰を立て直した。「イスラエルの全家は主を慕い求めていた。」(7:2)これはサムエルが20年奉仕した実りであった。
それからどれくらい年月が経ったのか。サムエルは歳を重ねた。イスラエルの長老たちは協議し、サムエルに一つの意見を提出した。「今や、あなたはお年を召され、あなたのご子息たちは、あなたの道を歩みません。どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」…厳しい意見である。何の反論もない。しかし腹が立った。そして失望した。…彼らはサムエルに育てられた人たちである。サムエルは、“神様がイスラエルを支配し・守ってくださる王である、だから神様に忠実に従うように”と忍耐強くみことばを語り続けてきた。それなのに、他の国民のような人間の王を求めるとは。20年の労苦が、すべて無駄に思えた瞬間であった。
しかしサムエルの応答は見事である。「そこでサムエルは主に祈った」。祈りこそ、私たちの心を静める。祈りこそ、解決の道である。相手を罵倒しても、誰かに愚痴をこぼしても、人に八つ当たりしても、深酒しても解決には至らない。難しい問題が目の前に来た時。恩を仇で返された時。誤解されて傷ついた時。「何でこうなるのか」という気持ちのまま、ただ神様に従う姿勢で祈る。祈りによって道は拓かれる。
「そのことばはサムエルの気に入らなかった。そこでサムエルは主に祈った。」(6)