第一列王記22章1〜28節

「真の預言者ミカヤ」

 

 アハブ王は南ユダ王国のヨシャパテと連合して、アラムと戦争をすることになった。ヨシャパテはまことの神様に従う王であったので、戦う前に「主のことばを伺ってみてください」とアハブ王に願った。するとアハブ王に従う400人の預言者が口を揃えて「神は勝利を約束されている」と語った。演出のような預言に不信感を抱いたヨシャパテは、「他に預言者はいないのですか」と尋ねる。するとアハブは「もう一人、ミカヤという預言者がいるが、ミカヤは自分に悪いことばかりを預言するので嫌いだ」と言う(8)

 アハブの発言は子どもっぽいかもしれない。しかし私たちの本性はアハブに近いのではないだろうか。この時代は「ポスト・トゥルース」という言葉のように、真実を後回しにする風潮がある。自分に都合が悪い情報は、「フェイク・ニュース」と決めて聞こうとしない。たとえ神様の言葉であっても、自分が聞きたくない言葉は耳をふさぐのではないだろうか。第2テモテ4:2「人々が、健全な教えに耳を貸そうとせず、自分に都合の良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話しに逸れていくような時代になるからです。」私たちはこういう時代に生きている。

 だからこそ「みことばを宣べ伝えなさい」という言葉にあるように、みことばと共に生きることが求められる。みことばを宣べ伝えるなら、みことばに聞く姿勢がなければならない。たとえ耳に痛いみことばでも、そこから逃げずに神様からの課題として受け止めよう。みことばは、必ず実現に至る。アハブは変装によって自分の死の予告を免れようとしたが、流れてきた矢に当たって死んだ。みことばの通りになったのである。みことばに従う者には神様の報いがある。