第2列王記14章1〜14節
「あなたの心は高ぶっている」
南ユダ王国のアマツヤ王は、北イスラエル王国に戦いを挑んだ。アマツヤはエドムとの戦いに勝ち、勝利の美酒に酔っていた。北イスラエルのヨアシュ王は、アマツヤの高ぶった姿を鋭く指摘した。「あなたはエドムを打ちに打って、それであなたの心は高ぶっている。」(10)
人間にとって、高ぶりは恐ろしいものである。高ぶりは自分で気付きにくく、人から指摘されても素直に認めることができない。私たちは他の人を指して「あの人は高ぶっている」と言うかもしれないが、それは本当に当たっているのだろうか。神様がご覧になると「あなたと五十歩百歩だよ」と言われるかもしれない。高ぶっているかどうか、人の判断は当てにならない。私たちは、神様に対して高ぶっているかどうかを自戒しなければならない。
アマツヤ王はどうだったか。彼はエドムで信仰されていた神々を持ち帰り、それを拝んだ。エドムに勝ったのは神様の恵みだったにも関わらず、アマツヤは別の神を拝み、恩を仇で返した。それ故、アマツヤは高ぶっていた。彼は暴走して戦争に向かった結果、北イスラエルに大敗北した。
「困った時の神頼み」で神を求める人は多い。しかし災いが過ぎ去ると神様の恩を忘れ、“神様なしでやれる”と思う。悪気はないかもしれないが、結果的に神様に恩を仇で返すことになる。実に、“神様なしでやれる”というのが神様に対する高ぶりである。人間はもともと、神様を頼って生きる者として造られている。神様なしでもやれる・自分だけでやれると思うのは高ぶりなのである。自立した人間とは、神様を頼り、神様に感謝して生きる人である。
「あなたは、エドムを打ちに打って、それであなたの心は高ぶっている。」(10)