エステル記1章1〜22節
「暗黒の時代に」
エステル記の舞台は、ペルシア帝国の首都シュシャン(スサ)である。1章は、エステルが登場する前の出来事を記している。
アハシュエロス王(クセルクセス)の3年目、王は180日に及ぶ大宴会を開催する。これはギリシア遠征のための軍事会議であったと予想される。その後、王の庭で7日間の宴会が行われたが、その最終日に事件が起きる。王は酔って陽気になり、王妃ワシュティに王冠をかぶらせ招待客に披露しようとした。ところがワシュティは、この命令を拒む。宴会は白けた雰囲気で幕を閉じた。
なぜワシュティは、王の命令を拒んだのか。古くから王は冠だけで(つまり裸で)人前に出よと命じたと予想されたが、真実は不明である。恐らく、破廉恥な命令だったと思われる。
この後、ワシュティを裁く会議が招集された。王の側近たちは皆、王の肩を持ちワシュティを悪者にする。メムカムという側近は、ワシュティのしたことを国民が知ったら、「女たちは自分の夫を軽く見るようになるでしょう」と案じる(17)。むしろワシュティを厳しく裁くことで「女たちは…自分の夫を尊敬するようになりましょう」と予測する(20)。これは人の気持ちを理解していない、的外れな論理である。こういう人々が国を治める状況は、特に女性たちにとって、暗黒のような受難の時代であった。
改めて、人にとって暗黒とはどんなものであるかを考えたい。言葉にならないため息と、嘆きが口から出てくる状況。嘆いても答えはない。諦めるしかないが、諦めきれない。苦しいと言えず、人知れず苦しむしかない。そんな状況ではないだろうか。
しかし神は、暗黒の時代にエステルを備えておられた。エステルは、ペルシア語で「星」を意味する。まるで暗闇に輝く星のように、神はエステルを通して希望をもたらされた。一見、神はいないかのように見える暗闇であっても、そこに神はおられて、私たちのために救いを備えていてくださる。
クリスマスの場面、救い主の誕生を知った東方の博士たちは、星を頼りに神との出会いを求めた。神との出会いを求めて進むならば、神は救いを与えてくださる。神は救いを備えておられる。