エズラ8章15〜36節
「主の御手がともにあって」
エズラは聖書に通じる学者であり、役人として王様に重用されていた。BC458年、アルタシャスタ王の許しを得て、エズラはエルサレムに行くことができた。道が開かれていく過程において、神様の御手がともにあったことを証しする。
まず、エズラがエルサレムに行くことをアルタシャスタ王が許可してくれたこと。アルタシャスタ王はユダヤ人を警戒し、城壁工事を中止させたことがあった。そのような王が、エズラを信頼しユダヤ人を支援するようになった。王の心が変えられたのは、神様の御手によることであった。神様は人の心を変えて、主の民が進むべき道を開いてくださる。
次に、必要な人材が備えられたこと。約1500人の男性がエズラと共にエルサレムに移住するために名乗り出た。エルサレムは復興の途中であり、仕事や収入の面でリスクがあった。女性や子どもを含めると5000人ほどの人々が、主に献身する決意で移住を決断した。ここにも主の御手があった。
ところが難しい問題が生じた。集められた人々の中にレビ人がいなかったのである。エズラの改革をするためには、欠かせない人材であった。エズラはイドという人物に相談したところ、38名のレビ人が与えられた。こうして必要な人材が備えられたところに、神様の御手があった。神様の御手があっても、困難に直面して止まってしまうことがある。しかし止まったところで主を見上げ、神様に期待することを通して道は開かれる。
最後に、エルサレムまでの道のりが無事に守られたこと。約1400kmの道のり、女性や子どもを同伴しての4ヶ月の旅であった。それに加えて王様からのささげ物の金・銀・器などが30トン近くあった。盗賊には格好の餌食となる一団であったが、神様の御手に守られてエルサレムに着くことができた。私たちの教会も創立50年、主の御手があったことを感謝したい。
「私たちの神の御手が私たちの上にあって、その道中、敵の手、待ち伏せする者の手から、私たちを救い出してくださった。」(31)