エゼキエル書34章1〜16節
「わたしの牧場の羊」
神様はイスラエルの牧者たち(指導者たち)を嘆く。その牧者たちは羊(民)を養うことなく、贅沢をするために羊を食い物にしている。力ずくと暴力で羊を支配し、弱った羊・病気の羊・傷ついた羊たちのケアをしない。
神様は、そのような牧者のもとにある羊たちも嘆く。強い羊が弱い羊を押しのけ、突き倒す。弱い羊は、さらに弱い羊を餌食にする。
嫌なものは弱者に押し付け、良いものは弱者から奪う。そのような力関係が世の中には満ち溢れている。私たちはある面で被害者になるが、加害者になることもある。
このような関係性が教会の中にも持ち込まれるならば、神様は悲しまれる。神様は、「わたしの羊」「わたしの牧者」と語る(8)。羊も牧者も、そのオーナーシップは神様にある。牧者は神様から羊を任され、羊は神様から与えられた羊と共に生きる。 “親しき仲にも神様あり”の関係を作るように努めよう。
神様はバビロン捕囚によって、牧者たちから羊を取り返し、羊と羊の間を裁かれた(10,17)。捕囚により、以前のような力による上下関係は消滅しただろう。そして「わたしは自分でわたしの羊を探し出し、これの世話をする」と、神様は言われる(11)。ここには「わたしは」「自分で」「わたしの」という言葉が並んでおり、神様の並々ならぬ熱い決意が込められている。神様ご自身がまことの羊飼いとなって、イスラエルの民をバビロンから連れ出し、イスラエルの地に連れ戻すという回復の預言が語られる。
私どもの教会は創立50周年を迎える。今まで守られて来たのは、諸教会の祈りとささげもの・兄弟姉妹の献身によるが、それらの根底には神様の熱意があった。神様は教会をいやし・いこわせ・養う。教会は神の愛に支えられている。
「あなたがたはわたしの羊、わたしの牧場の羊である。あなたがたは人で、わたしはあなたがたの神である。」(31)