エゼキエル書45章1〜17節
「神さまを中心にして」
神はエゼキエルに壮大な幻を示された。この箇所は、その幻の一部である。まず、神が相続地を与えてくださることが示される。これは捕囚の身となったイスラエルの民にとって、大きな励ましであり希望となったに違いない。
この幻を図にすると、相続地の中心に聖所が配置されるように命じられたことがわかる。文字通り、神を中心として新しいイスラエル共同体が形成されるという幻である。ここから、神さまを中心にするというメッセージを見出すことができよう。
神の聖所を最優先するという点も、神を自分の中心に据える姿勢に通じる。「4つの法則」という個人伝道の冊子には、自分の心の王座について記されている。心の王座に自分が居座るのでなく神をお迎えし、神を優先することが勧められる。神を優先することによって優先順位ができ、生活にリズムが生まれる。
次に、君主に対して正義を行うよう勧められる。正しい計りと正しい枡を使い、不正と圧政から足を洗うように命じられる。計りや枡に不正を施すことは権力者にとって大きな誘惑であり、当時、頻繁に行われていたらしい。神は「もうたくさんだ」と声を上げ、神に従うように命じている(9)。神を恐れ、神に従うことは、神を心の王座に迎える姿勢の表れである。
ペテロが主イエスの弟子となったエピソードを思い起こす(ルカ5章)。ペテロは夜通し漁をしたが一匹も取れず、網の片付けをしていた。早く家に帰り、疲れた心身を休めたかったと思われる。しかしそんなペテロに、主イエスは群衆に話をするために船に乗せて欲しいと頼み、話に付き合わせた挙げ句、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚を取りなさい」と命じた。ペテロは断る理由を後回しにして「おことばどおり、網をおろしてみましょう」と従った。すると大漁の魚がかかった。ペテロは神の御業に驚き恐れた。
私たちにも、夜通し働いても結果が出ない時がある。疲れ果て、心が沈む時がある。しかし主は「深みに漕ぎ出しなさい」、つまり神の言葉を聞きなさいと私たちに迫られる。みことばに導かれ、心の王座に神を迎える時、神の救いと導きが現される。