エレミヤ1章1〜12節

「まだ若い、と言うな」

 

 預言者エレミヤは、アナトテという寒村の祭司の家庭に生まれた。神様がエレミヤを預言者に召された紀元前627年は、歴史の転換点であった。アッシリアの王が死んだことにより帝国が衰退し、新バビロンやメディアといった国々がアッシリアに反逆した。反逆・独立の追い風に乗って、南ユダ王国ではヨシヤ王が宗教改革を行う。外国の神々を廃棄して、神殿を中心とするイスラエル民族の結合を目指した。そのような時代に、エレミヤは預言者となる。

 神様の召命に対してエレミヤは言った。「ああ、神、主よ。ご覧のとおり、私はまだ若くて、どう語っていいかわかりません。」(6) まだ若いとは、準備不足という意味である。エレミヤは、預言者として“神様の看板を背負うこと”はできませんと、後ずさりしてしまった。

 私たちは誰かと話をしている時に、急にキリスト教や教会のことに話題が変わる時がある。そういう時に気負わないで「教会に行っています」「クリスチャンです」と言えるといい。しかし、時にはそうやって“神様の看板を背負う”のに、つい「まだ若いので」と後ずさりすることがないだろうか。

 神様は仰せられた。「まだ若い、と言うな。」(7) 後ずさりするな、と神様は言われる。なぜなら、神様はそれが出来るようにその人をお造りになったからである。「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、…あなたを国々への預言者と定めていた。」(5) 自分にとっては“予期しないタイミング”でも“それが神様の時なのだ”と信じよう。今の自分に神様のお役に立つ力が備わっていると信じよう。自分をおささげして、神様の看板を背負ってみよう。神様は「わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出す」との約束の通り(8)、今の自分を通して神様の栄光を現してくださる。

 

「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。」(7