エレミヤ29章1〜14節

「平安の計画」

 

 エレミヤが、バビロン捕囚となっているイスラエルの民に宛てた手紙である。今やエルサレムはバビロンの手によって破壊され、誰もが自分たちと祖国の将来を憂いていた。バビロンで捕囚となって生きることに何の意味があるのか。

 エレミヤが語ったメッセージは(バビロンの地に)「家を建てて住みつき、畑を作って、その実を食べよ」「わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、そのために主に祈れ」(47)であった。これは“バビロンの奴隷となって生きよ”ということであり、厳しすぎる言葉のように聞こえる。しかし神様は、不思議なご計画をもっておられた。「バビロンに70年の満ちるころ、…あなたがたをこの所に帰らせる」(10)。バビロンの奴隷となって神様に悔い改めて生きるならば、神様はあなたの子や孫の世代を祖国に戻すと約束される、と言われるのである。

 神様は、私たちの将来について計画を持っていてくださる(11)。具体的なことはわからない。しかし神様の御手の中に私たちに関する計画があると言われる。私たちは日頃、バビロン捕囚ではないが様々な“生きづらさ”を感じるのではないか。自分に失望し、生きていることに何の意味があるのかと思う時もあるだろう。しかし、バビロンの奴隷となって神様に悔い改めて生きる先に、神様が拓いてくださる未来がある。それならば、私が今おかれているところで様々な“生きづらさ”に囲まれながらでも、悔い改めて生きるならば、私にも神様が拓いてくださる未来があるはずだ。未来があるならば、今日を生きることに意味がある。神様を知ることを求めながら(1214)、今日を生きていこう。それは意味のある仕事なのだ。

 

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。主の御告げ。それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(11