オバデヤ書 1〜21節

「主の日に備えて」

 

 オバデヤ書は、預言者オバデヤが南ユダ王国の滅亡後に語ったみことばである。内容はエドムに対する神の裁きである。

 

 エドムはイサクの息子エサウの子孫であり、イスラエルとは血を分けた関係であったが、エサウ(エドム)とヤコブ(イスラエル)は敵対して来た。ここではエドムの悪事が明らかにされる。

 

 イスラエルがバビロンに滅ぼされた時、エドムはまるでバビロン軍の一員のような顔をしてエルサレムに入った(11)。そして、破壊と虐殺に怯えるエルサレムの人々を見て喜び、大口をたたき(12)、家々に入って財宝を盗んだ(13)。そして、逃げ惑う人々の逃げ道で待ち伏せして彼らを殺し(14)、捕えた者はバビロンに引き渡した。

 

 神は、このようなエドムの陰湿な行いを「心の高慢」としてご覧になった(3)。エドムは自分が強い者の後ろ盾を得ることで、自分が強くなったかのように錯覚し、人を見下し、偉そうに振る舞った。また、相手が弱くなったのをいいことに、相手をあざけり、相手から奪い、手を下した。

 

 神はこのようなエドムの行いに報いを与え、彼らを裁かれる。「主の日はすべての国々の上に近づいている。あなたがしたように、あなたもされる」とある(15)。神は、“エドムがイスラエルにしたように、エドムに報いを与える”と言われる。

 

 神はバビロン帝国を用いてイスラエルを罰したが、エドムが同じことをするのをお許しにならなかった。ここから、“神はすべてのことを、秩序をもって導いておられる”とわかる。ヨブの試練の時にも、神は“ヨブの身体に手を伸ばすな”と制限を設けられた。

 

 神はここでエドムへの裁きを語っておられるが、イスラエルの民がエドムに復讐して良いということではない。ここにも神の制限があり、秩序がある。復讐は神がなさること、と心したい。

 

 復讐を決意する者は、「あなたがしたように、あなたもされる」ということが、自分に下ることを恐れる。みことばの光によって復讐心から解放され、今の私の(限りある・欠けのある)愛で、人を愛し・平和を作る者とさせていただきたい。