ルカ1章44〜55節
「私たちのための救い主」
それは突然の出来事であった。御使いガブリエルがマリヤに現れて、神のお告げを語った。「あなたは身ごもって、男の子を生む」、「聖霊があなたの上に臨む」と。天使のお告げの内容は“喜びの知らせ”だったとは言え、マリヤはどんなに困惑し、恐れただろうか。この時マリヤは、「あなたのおことばどおり、この身になりますように」と答えたが、マリヤはこの出来事を心にしまっておいたのではないか。マリヤの賛美が歌われたのは、この時ではなく、エリサベツの存在が大きかったと思われる。
マリヤは、親類のエリサベツを訪ねた。エリサベツは自身でも“子を宿すことはない”と考えていた人であったが、神の奇跡が与えられ、子を宿していた。エリサベツはマリヤを迎えると、神を賛美し始める。「あなたは女の中の祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています」と。マリヤは、神の奇跡を喜びたたえるエリサベツの存在に支えられて、ここで初めて自分に与えられたお告げを受け止めることができたのではないか。マリヤは大いに喜んで、主を賛美して言った。「わがたましいは、主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。」(46,47)
マリヤは「主はこの卑しいはしために目を留めてくださった」と語る(48)。「いやしい」という言葉は、聖書の中で人間全般を指して使われており、神と人間を比べた場合に、人間が弱く儚い存在であることを語る言葉である。
私たちはマリヤを、“あのイエスの母として神に選ばれた人”として特別な目で見るかもしれないが、マリヤは私たちと同じように弱さを持ち、苦しみを背負う存在として、聖書に描かれている。マリヤは“私たちの代表”として、救い主を受け取ったのである。
それ故、救い主イエス・キリストは、私たちのための救い主である。罪の現実に悩み、弱さや足りなさに悩み、心や身体に様々な痛みを持ち、疲れと苛立ちに打ちのめされ、将来が不安で、生きづらさを感じる、そんな私たちの救い主として、主イエスは来てくださった。このような私たちを救うために、神は救い主イエス・キリストを与えてくださったのである。