クリスマス礼拝
ルカの福音書2章8〜16節
「私たちの平和の君」
ある夜のことである。ベツレヘムの郊外で羊飼いたちが羊の群れを見守っていると、突然、御使いが現れ、「この民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来た」と御告げを語った(10)。その「すばらしい喜びの知らせ」とは、“今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった”というビックニュースであった。イスラエルの誰もが飛びつくような、驚くべき知らせである。
ところが、救い主の誕生の“しるし”は、驚くほど貧しかった。神の救い主であるのに、ベツレヘムという小さな村で生まれ、しかも飼い葉桶に寝ている赤ちゃんだ、というのである。
しかし羊飼いたちは、飼い葉桶の赤ちゃんの真の姿、神の御子の栄光を見ることになった。天の軍勢が現れ、「いと高きところに栄光が、地の上に平和が、みこころにかなう人々にあるように」と賛美した。羊飼いたちは、急いで救い主に会いに行った。
天使たちは、“救い主は地に平和を与えるお方である”と告げている。主イエスがお与えになる平和を聖書で見てみると、土台のように据えられる平和と、建物のように作り上げる平和がある。
土台のような平和とは、神さまとの平和である。この平和は、主イエスの十字架と復活によって人類に与えられた平和であり、恵みとして・信仰によって受け取る平和である。神は私たちを神の子どもとして受け入れてくださり、私たちを大切に守り生かしてくださる。永遠のいのちを備え、何があっても私たちを見放すことはなさらない。神さまとの平和は、神さまによって土台のように据えられるものであり、たとえ戦争に巻き込まれても、裁判で訴えられることになっても、決して失われるものではない。
次に、建物のように作り上げる平和がある。主イエスは「平和を作る者は幸い」と言われ(マタイ5:9)、隣人を愛して生きる道を示された。私たちがまわりの人間関係で誰かを愛することを試みるならば、それは平和を作ることである。平和を作ることは、時に失敗や挫折を経験するかもしれないが、“平和を作る”という方向性が肝心である。主イエスは、私たちが神さまとの平和を受け取り、平和を作る者となるように招いておられる。