ゼカリヤ書4章1〜14節
「権力によらず能力によらず」
BC536年、ユダヤの人々は意気揚々とエルサレム神殿の再建工事をスタートした。しかし敵の執拗な妨害により、土台が据えられたところで工事は中断、その後16年も放置されていた。ユダヤの人々はすっかり意気消沈し、その心は神様に向かわず、自分の生活を追い求めるようになった。
神様はハガイとゼカリヤを預言者としてお立てになり、みことばを通して神殿工事を再開するよう励ました。ゼカリヤ4章は、ゼカリヤが見た5番目の幻である。
このような幻であった。七枝の燭台が中央にあり、その両脇にオリーブの木がある。2本のオリーブの木からは管が燭台と繋がっており、油が途切れることなく供給されるようになっている。七枝の燭台はユダヤの人々であり、2本のオリーブは工事を指揮する総督ゼルバベルと大祭司ヨシュア、油は聖霊を意味している。これらの幻を言葉にしたものが、「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」(6)である。
神様はユダヤの人々に「わたしの霊が注がれている」ことに喚起を促した。工事を進めるにはお金もかかる。妨害もエスカレートする。逆風が吹き荒れる状況であるが、それでも神様の霊が注がれていることに励まされて前進しなければならない。
神様の霊は、ゼルバベルとヨシュアというリーダーを通して注がれている。どんなリーダーにも欠点があり、受容しにくい人間的側面がある。しかし、“神様がお立てになったのだから”という信仰によって共に働くなら、神様の御業がなされる。
神様の御業とは「大いなる山」が「平地」となることである(7)。 眼の前にある難題(大いなる山)が神様によって解消されていく。人生には途中下車をせざるを得ない時がある。しかし、その時にも神様は「わたしの霊によって」と語っておられる。私たちにも、助け主である聖霊が注がれている。
「これはゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の主は仰せられる。」(6)