ダニエル6:10〜18
「ダニエルと獅子の穴」
ダニエルは約15歳で捕囚の民としてバビロンに連れて来られたが、その人格と才能によって若い時から王に仕えて来た。6章の出来事は、ダニエルの晩年に当たると思われる。時代はバビロンからペルシアに移り、ダリヨスという名の王が治めていた。ダニエルは他の誰よりも優秀で、怠慢も欠点も見当たらないため、王はダニエルを重用した。
しかしダニエルを妬む者たちは、ダニエルを失脚させようとした。ダニエルの信仰に目をつけ、王をたぶらかして「30日間、王以外に祈願をする者は獅子の穴に投げ込まれる」という禁令を発布した。これはダニエルの信仰を利用した個人攻撃だが、それ以上のものを含んでいる。信仰に対する攻撃・迫害は、神様の栄光を辱めようとする行為であり、神様への冒涜である。
私たちは、神様の名前が辱められていることに気付けるだろうか。自分のことに関心を払いすぎて、“神様が世の中でどのように扱われているか”ということにはアンテナが立っていないのではないか。神様が軽んじられているかどうかに反応できる者でありたい。そのように神を愛する者でありたい。
ダニエルはひるまなかった。禁令が出たことを知った上で、いつものように日に3度の礼拝をささげた。ダニエルは捕まることを知りながら、臆することなくいつも通りに礼拝した。危険が迫ってもなお、神様を愛することを選ぶことができた。そこに神様の御手があり、ダニエルを支えていた。神様への信頼と献身は、礼拝の習慣によって培われたものであった。
どれだけ生きて、どれだけのことをして、どれだけ貯めて、どれだけ楽しんで、どれだけ評価されて…それが人生だと人は言うかもしれない。しかし私たちには、神様という宝が与えられている。その宝は、すべてを失っても守りたいと思うほど、他の何よりも価値がある。そんな人生に私たちは招かれている。
「彼は、いつものように、日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していた。」(10)