テトスへの手紙2章1〜15節
「健全な生き方」
ギリシア半島の南にクレテ島がある。クレテは悪い評判で有名で、嘘つきの上に横暴で、怠け者、大食漢で知られていた(1:12)。それ故パウロは、人々を厳しく戒めて、信仰を健全にするようにと、テトスに命じた。
健全とは、“通い合う関係”である。たとえば、健全な身体と言えば、血液の循環や神経の伝達がスムーズで、栄養が行き届いている等、身体の各器官が“通い合う”ことである。また健全な人間関係とは、気持ちよく挨拶を交わし合う、お礼と労いの言葉があるなど、気持ちが“通い合う関係”のことである。
私たちは、神との間に通い合う関係があるだろうか。神さまは私たちに「すべての人を救う神の恵み」を与えてくださった(11)。主イエスを信じることで、人は救われる。この恵みを無視せず、主イエスを信じて洗礼を受けることで、神と通い合う関係が始まる。
主イエスは、神と人との関係を“ぶどうの木”にたとえて「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です」と言われた(ヨハネ15:5)。主イエスを信じることは、まるでぶどうの木に枝が接ぎ木されるのに似ている。枝は木から水分や養分を受け取り、実をつける。同じように、人は主イエスを信じることで主イエスと結ばれ、主イエスからみことばをいただき、みことばの実をつける。枝は木から離れたら枯れてしまうように、みことばの実をつけるためには、みことばに応答し、みことばに従おうとする姿勢が大切である。
たとえば「希望・愛」と紙に書いて貼っても、希望と愛が豊かな人になるわけではない。みことばを信じるという応答を通して、みことばが希望になる。みことばから愛を学んで実践することで、愛を行う者に変えられる。みことばに応答する姿勢を保つ時、人は健全な生活をすることができる。
私たちがみことばに応答する時、神は私たちを造り変え、聖なる姿へ近づけてくださる(聖化)。主イエスは私たちの羊飼いとして、私たちにみことばを語りながら、この世の完成へと進んでいかれる。私たちは主イエスの羊として、互いに励まし合いながら、みことばに応答し、聖化の道を主イエスについて行こう。