ヘブル9:23〜28 「運命か、神の定めか」
26節「…しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。」
神様はイスラエルの民に「大贖罪日」を定め、山羊と雄牛の血によって罪を赦しておられました。しかしイエス・キリストが、完全ないけにえとして十字架で血を流して死なれたことで、山羊と雄牛のいけにえは不要となりました。イエス様の「ただ一度」(26)の十字架で、歴史上の全人類が罪の赦しを受けられるようにされました。そればかりでなく、全人類が「互いに愛し合う」という生き方をすべき者とされました(ヨハネ15:12)。
罪の赦しと、愛し合う生き方。これは単なるスローガンでも理想像でもなく、確実に起こっていることです。しかもこれは、人間にとっての死が避けられないことであるように(27)、それくらい確実に「そうなっていること」として、神様によって定まったことなのです。
8月15日、戦争が終わって69年を数えました。戦争をするための準備が進むようにみえる今日、私たちは神様が定めてくださった「罪の赦しと、愛し合う生き方」をどう受け止めればよいでしょうか。人間同士に闘いがあること・国と国との間で戦争が起こることは、この世において運命のような・仕方がないことでしょうか。イエス様が「ただ一度」死なれたことを真剣に信じ、愛せないことに心を傷ませ、愛し合う関係をあきらめない者でありたいと願います。