マタイの福音書10章24〜33節

「だから恐れることはありません」

 

 主イエスを信じる者は主イエスの弟子であり、主イエスと同様、十字架の道を行く。弟子は迫害を覚悟しなければならない。主イエスは3つの励ましを与えて、「恐れることはない」と言われた。

 

 ①福音の驚くべき力  迫害は主イエスに対する恨みや、聖書のみことばに対する反発から生まれる。それ故に、これまでの迫害では聖書が火で焼かれることが起きた。しかし人々がどんなにみことばを踏みにじろうとしても、世の終わりの時にはみことばの約束の通りになり、みことばの真実さが証明される。その時、迫害者たちは恥を見ることになる。聖書のみことばには、そのような力がある。それ故、迫害の中でも大胆にみことばを語るように命じられる。証しする機会があれば、祈りつつ主イエスのことを語る。その証しは届かないように見えても、時が来れば必ず驚くべき力が発揮されて、みことばの通りになる。

 

 ②神さまの驚くべき主権  主イエスは、肉体を滅ぼそうとする迫害者よりも、ゲヘナに投げ込む主権者である神さまこそ、真実に恐れるべき方であると言われる。ゲヘナは「火の池」と言われ、たましいが永遠に苦しむ場所である。聖書は、人は肉体が死を迎えた後、たましい(または霊)において存在し続けると語る。たましいにおいて、永遠に苦しむとすれば、それは苦しみの極みであって、迫害の比にならない。ゲヘナに投げ込む主権者であるお方は、ゲヘナではなく救いに入れるために主イエス・キリストをくださった。主イエスを信じる者は神の子どもとされ、神を「父」と呼ぶ者とされ、決してゲヘナに入ることはない。

 

 ③私たちの驚くべき価値  迫害の時、迫害者はキリスト者を“殺しても良い人間”として雑に扱う。しかし神さまは、一羽では値段がつかない小鳥でさえ、そのいのちを守るほど、私たちのことを大切にしてくださり、価値のある者として見てくださる。

 

 私たちには、これらの3つの励ましが与えられている。主イエスの弟子として生きる中で様々なところを通らされるが、私たちは祈って神さまの助けをいただきつつ、この地で生かされている限り、主イエスを信じて信仰を持って歩んでいけるように祈ろう。