マタイの福音書14章13〜21節

「5千人の給食〜教会を物語る奇蹟〜」

 

 5千人の給食として知られる奇蹟である。主イエスは5つのパンと2匹の魚だけを用いて、男性だけで5千人、女性や子どもを合わせると1万人〜2万人という大群衆を満腹にされた。しかも余ったパンを集めると12のかごに一杯になった。

 

 これは主イエスのなさった奇蹟であり、すべての福音書に記録されている。つまり、それだけこの奇蹟が初代教会で語られ、また読まれたことを意味する。この奇蹟は、主の教会を物語っている。この奇蹟を読むと、教会に生きることに立ち返らされる。

 

 ①この奇蹟は、教会が主イエスを喜び楽しむ集まりであることを教える。人々はこの時、腹いっぱいになったことを喜んだのではない。彼らは“神がこれほどまでに良くしてくださった”という、神の愛に触れる体験をしたのであった。私たちもまた、教会において礼拝でみことばを聞き、聖餐式を祝い、お互いの証しを分かち合うことを通して、主イエスが良くしてくださることに驚き、感謝し、主をほめたたえ、主イエスを喜び楽しんでいる。

 

 ②この奇蹟は、主イエスが神のご計画に弟子たちを「参画」させたことを教える。すでにあるものに加わる「参加」ではなく、考え始めるところから加わる「参画」である。主イエスは弟子たちに、“あなたがたで何か食べる物を”と命じられた。弟子たちは路頭に迷ったであろう。群衆に食べ物の提供を呼びかけたが、集まったのは5つのパンと2匹の魚だけ。しかしそれが主イエスの御手によって、喜びと感動の奇蹟に用いられた。主イエスは福音宣教に教会を「参画」させておられる。私たちの祈りや働きだけでなし得ようとするのは無謀である。しかし主イエスは私たちを「参画」させ、私たちの祈りと働きを用いて御業をなされる。

 

 ③この奇蹟は天における教会の完成を指し示している。この奇蹟は、天の御国がどれほど大きな喜びと感動をもたらすかを想像させる。私たちはしばしば、“ない”という現実に直面する。しかし天の御国に迎えられる時、私たちはあらゆる“ない”という状況から解放される。その時まで、主イエスがおられることを思い起こし、“ないけれどもある”と告白する者でありたい。