マタイの福音書21章1〜11節

「ロバに乗る王」

 

 過越の祭りが近づいた日曜日、主イエスはエルサレムに入城された。群衆は自分の着物やしゅろの葉を道に敷き、「ダビデの子にホサナ」と神を賛美して、主イエスを王さまとして出迎えた。

 

 主イエスはロバに乗っておられた。通常、王は馬に乗るが、主イエスは敢えてロバに乗られた。これにより、“あなたの王がロバの背に乗って来る”という預言者ゼカリヤの預言が成就した。救い主は、戦いの象徴である馬を絶やすと言われる(ゼカリヤ9:10)。すなわち、人と人が戦うことを終わらせ、永久の平和を打ち立てるのである。主イエスはロバに乗る王となられることで、ご自分が究極の平和をお与えになる救い主であることを示された。

 

 主イエスが平和をもたらす手段は、私たち人間の常識や予測をはるかに超えている。人は平和を作るために何かの力を使わざるを得ない(武力や経済力や数の力など)。その結果として、“平和”という状況の中に支配する者と支配される者が生まれてしまう。

 

 しかし主イエスは、平和をもたらすために自らを犠牲にされる。ご自分から十字架にかかることで、人類のすべての罪を償い、すべての悪の根を断ってくださる。主イエスは王であるにもかかわらず、ぞうきんのようにすべての汚いものを拭って捨てられる道を選ばれた。このようにして与えられた平和は、支配する構図を生み出さない。人は争い合うことを止め、主イエスと父なる神をほめたたえる。神は私たちを支配せず、神の子どもの特権を与えて家族の一員として受け入れてくださる。このような究極の平和は、主イエスが再び来られる時に与えられる。

 

 ロバに乗る王。このお方こそ、人間が作ることのできない究極の平和を私たちに与えてくださる救い主である。人類の王であるお方が人類のぞうきんとなって、私たちのすべての罪と悪を拭い取り、救いを打ち立ててくださった。私たちは「ダビデの子にホサナ」と救いの御業をほめたたえ、このお方を心の王座にお迎えしたい。主イエスは、私のすべてを引き受けてくださる。私の重荷を引き受け、責任を引き受け、罪と過ちを引き受けてくださり、私たちの心に安らぎを与えてくださる(マタイ11:29)。