マタイの福音書 22章34〜46節
「心を神に向けよう」
サドカイ人に代わって、律法学者が主イエスに「律法の中で大切な戒めは何か」と問いかけた。主イエスは「心を尽くし、…あなたの神である主を愛せよ」と、ユダヤ人たちが日夜から唱えていた申命記6:5を挙げた。主イエスはこれに「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」というレビ19:18を結び合わせ、「律法全体と預言者とが、この2つの戒めにかかっている」と言われた。
神を愛することは、隣人を愛することと結びついている。インドの貧民街で隣人愛を実践したマザー・テレサは、毎朝の礼拝を非常に重んじた。隣人愛は、神を愛することから始まる。そして神を愛することは、心を神に向けることから始まる。
「心を尽くして」とは、心を神に向けることである。申命記6:4に「聞きなさい。イスラエル」とある。ラジオの周波数を合わせるように心を神に向け、神のみことばを待ち望む。神に心を向けながら、神と隣人を愛することに取り組んでいきたい。
また主イエスは、パリサイ人に「キリスト(メシア)について、どう思うか」と見解を求めた。彼らは「ダビデの子」、すなわちダビデの子孫として生まれる人であると答えた。しかし主イエスは詩篇110篇を引用して、ダビデがキリスト(メシア)に対して「主(アドナイ)」という神の呼び名を使っていることに触れ、“キリスト(メシア)は神であり・人でもあるお方ではないか”と語った。
驚くべきことに、主イエスはパリサイ人たちに対して、ご自分が約束のメシアであることを示し、救いの御手を伸ばしておられた。パリサイ人たちは主イエスに対する憎しみと殺意に燃えていたが、そんな彼らに主イエスは救いを差し出している。主イエスは人間の闇の中にお入りくださった。そして泥水のような罪と汚れに満ちる世界において、私たちに救いの手を差し伸べ、光といのちを与えようとしておられる。自分がどん底に沈む時にも、主イエスは私たちの祈りを聞き、私たちを受け入れてくださる。
心を神に向けよう。神の前に心を静め、「聞きなさい」とお語りになる方の声に心を傾けよう。神の恵みに応答して、神を愛し・隣人を愛することに取り組もう。