マタイの福音書 24章15〜31節

「人の子の到来とその前兆」

  

    世の終わりが近づく時の予告である。その時には、自称“再臨のキリスト”が現れたり、戦争や食糧問題や自然災害が起きる。これらは出産にたとえるならば「産みの苦しみの始まり」である(8)。

 

 次に、出産の時のように苦しみが極限まで高まる段階がある。この段階は、「荒らす忌まわしいもの」が「聖なる所」に立つことによって始まる。これを“これから起きる出来事”として読むならば、“悪魔的な存在が現れ、神の権威に君臨する”という意味になる。はっきりしたことは隠されているが、そのまま受け取りたい。

 

 その時、「世の始まりから今に至るまでなかったような、また今後も決してないような、大きな苦難」が起きる(21)。キリスト者は、その苦難から一刻も早く逃れなければならない。「山へ逃げなさい」の「山」は安全な所という意味だろう。その時には、上着(防寒具、寝る時の必需品)を取りに帰る時間も惜しんで、早く逃げるようにと言われる。それほど大きな苦難なのである。

 

 このような苦難の極みにおいても、みことばは生きて働く。みことばが人に救いと勇気と希望を与える。しかし楽観的に考えることはできない。この苦難があまりにも大きいからである。世の終わりの時を迎える瞬間まで、気の抜けない状況が続く。

 

 それ故、この苦難は最大の試練であり、最大の誘惑となる。人は試練の時、誘惑(神から引き離す力)に遭う。その誘惑に対して、私たちは祈るしかない。この苦難・試練・誘惑に備えるために、私たちは今から互いに祈り合い、祈りの交わりを強くしなければならない。この時、神は私たちのために苦難の日数を少なくしてくださる(22)。つまり、神は私たちの弱さも限界も知っていてくださるのである。私たちは苦難の時こそ共に集い、互いに祈り合い、みことばに励まされて、神を信頼して歩みたい。

 

 最後に、主イエスが来られる。再臨の時である。その直前、太陽と月と星が光を失うと言われる(29)。地球が暗黒に包まれた後、栄光に輝く姿で主イエスが来られる。そして最後の審判が始まり、天と地が新しくされる。このように、世の終わりは裁きの時であると同時に、万物が新しくされる救いの時である。