マタイの福音書 24章32〜51節
「ですから、目を覚ましていなさい」
「ですから、目を覚ましていなさい。」(42)このメッセージは、“最後の最後において主イエスに会うことを意識していなさい”という意味を持つ。最後の最後とは「天地は消え去ります」との言葉の通り(35)、地球も宇宙もすべてが消え去り、新しい天と地になる時であり、「人の子の到来」の時である(37)。
人は必ずいのちの終わりを迎える。そして、その終わりの後において、主イエスとお会いすることになる。そうなることを今から意識して生きると、その人は「たましいの鎖」のような救いを得(ヘブル6:19)、人生において嵐のような経験をする時にも何とか耐えることができる。
今の時代には、再臨のキリストを自称する者、戦争の話、食糧危機と自然災害など、世の終わりを告げるしるしが出揃っている。すでに、主イエスは「戸口まで近づいている」のである(33)。
しかし、この世が終わる時については、「その日、その時がいつなのかは、だれも知りません」と言われる(36)。世の終わりは、日常において突如として起こる。私たちは、普段から主イエスにお会いすることを意識して生活する者でありたい。
この実例として、主イエスは忠実なしもべと悪いしもべの話をされた。忠実なしもべは、主人の帰りを待ちながら任された仕事をしていた。悪いしもべは、主人は帰らないと決め込み、仕事をしないで心の向くままに振る舞った。しかし主人は帰って来た。忠実なしもべはさらに多くの仕事を任されるようになり、悪いしもべはすべてを失った。主人の帰りを信じるかどうかで、正反対の結末になったのである。主イエスにお会いすることを意識して生活することの大切さを教えられる。
NHK「こころの時代」で助産師の永原郁子先生が取り上げられた。永原先生は人生の試練を通して主イエスに出会った。朝の祈りにおいて、「今日の私のいのちをお使いください」と祈っておられる姿が印象的であった。このような姿から、「目を覚まして」日常を生きることを教えられる思いがした。日々、主イエスを心にお迎えし、「私のいのちをお使いください」と祈る者でありたい。