マタイの福音書5章38〜42節

「左の頬を向けるとは」

 

 主イエスは「目には目で、歯には歯で」という有名な言葉を、「悪い者に手向かってはいけません」と解き明かされた。つまり「目には目で」とは、自分に悪いことをする者に対して手向かわないことを語る言葉であって、“仕返ししたい気持ちにブレーキをかけなさい”という意味である。主イエスはその具体的な姿として、「右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい」と言われた。

 

 “左の頬を向ける”とは、どういうことなのか。例えばパウロは、ピリピで取り調べもなくむち打ちの刑に処せられたことについて抗議した(使徒16章)。しかしこれは、個人的な恨みから抗議したのではなく、迫害下の教会が守られるための抗議であった。つまり“左の頬を向ける”とは、教会のため・公のためには抗議するが、私個人に関する場合には復讐しないということである。

 

 主イエスがここで教えておられるのは、“自分を捨てる”ということである。裁判で下着(衣服のこと)を差し押さえられる話では、自分の権利にこだわらず、むしろ手放すことを教えている。また、ローマ人から1ミリオン(1.5km)荷物運びを強制される話では、納得できないことでも、その通りにしてやることを教えている。最後に、“私のもの”に対する執着心を捨て、“私のもの”でも貸してやりなさい・与えなさいと教えている。

 

 主イエスの命令はどれも、私たちにとって理不尽な要求に思える。このうちの1つでも、実行するのは困難だと感じる。しかし神は、こういうことを私たちにしてくださったのである。

 

 私たちは神を怒らせるようなことをしているが、神は怒りによって私たちに仕返しをなさらない。私たちは神の主権を軽んじてしまうが、神はなおも私たちに与えてくださる。私たちは筋の通らない理不尽な要求を神にしてしまうが、神は受け止めてくださる。神は“わたしのものは、あなたにあげない”とおっしゃらず、ひとり子さえも私たちに与えてくださった。神は、ご自分を捨てて私たちを愛してくださったのである。

 

 “自分を捨てる”という道は人間的には理不尽に思えるが、これは神の愛をさらに深く知る道なのである。この道を進もう。