ミカ書3章1〜12節

「神の御前に、誠実に生きる」

 

 神はイスラエルの民の中に、特別な3つの権威をお立てになった。王、預言者、祭司である。ところがこの時、王や為政者たちは賄賂を取って不正な裁きを行い、預言者や祭司は神の祝福を与えるのに代金を請求していた(11)。神から権威を授けられた人々は本来のあり方を失い、金の亡者になり下がっていた。

 

 しかも彼らは、「主は私たちの中におられるではないか。わざわいは私たちの上にかかって来ない」と言って、神の祝福を掴んでいるつもりであった(11)

 

 ミカは、このような人々に対して神への誠実を問いかけた。「人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。」(6:8) 彼らは神への誠実を失い、人への公義を軽んじ、神とともに歩んでいなかった。

 

 「公義」とは、神が正しいとお定めになったことである。神は、立場の弱い人や病に苦しむ人、経済的に困窮している人を保護し、助けることを求めておられる。本来なら、為政者たちは羊飼いのように立場の弱い人たちを守るべきであったが、彼らは肉食動物のように「わたしの民の肉を食ら」い(3)、弱者に対して傲慢に振る舞い、奪えるだけの富を奪ったのである。

 

 神は、為政者たちの振る舞いを見ておられた。それで「彼らが主に叫んでも、主は彼らに答えない」と言われる(4)。私たちは、すべてが主の御前にあることを覚え、弱者に対する態度に気をつける者でありたい。主を恐れ、公義を行わなければならない。

 

 このように為政者たちが乱れた時こそ、預言者がみことばによって正しい道を示すべきであった。しかし、この時は預言者も腐っていた。金を持参する者には神の祝福を告げ、手ぶらで来る者には神の災いが下ると告げたのである(5)

 

 神が王と預言者と祭司とに権威をお分けになったのは、互いに見張り、互いに戒めるためであったと思われる。権威が一極集中する傾向は危険である。私たちも互いに見張り、助け、戒める関係を重ねることで、神の御前に誠実に生きる者とされる。