ヨシュア記3章1〜17節
「せきとめられた川」
イスラエルの民はヨルダン川の岸辺に到着した。初代リーダーのモーセは、120歳で主のもとに召された。バトンを引き継いだのはヨシュアであった。神は、神がヨシュアと共にいることを人々に知らせ、ヨシュアのリーダーシップを確かなものにするためにヨルダン川を渡る奇跡を備えられた。
ヨシュアの指示により、祭司たちは契約の箱をかついだまま川に足を入れた。すると岸いっぱいに溢れていた水が、25kmほど上流の町アダムでせきなして立ち、川の水は完全にせきとめられた。祭司が川の真ん中に立っている間に、イスラエルの民は向こう岸に渡り、カナンの地に入ることができた。
契約の箱は、契約(約束)によって神が共におられる“しるし”である。この時、神さまとの約束が“かけ橋”となって向こう岸に渡ることができたように、今日においても、神さまとの約束は救いを与える“かけ橋”となっている。
私たちには“渡ることのできない向こう岸”がある。たとえば私たちは、過去の過ちや失敗を変えることはできない。しかし神さまは、“主イエスの十字架”という神さまとの約束を与えてくださる。主イエスを信じることによって、“罪の赦し”という向こう岸に渡ることができる。
また、死に対しても私たちは無力である。しかし主イエスを信じることで、死を超えた永遠の生命をいただき、“天の御国”という向こう岸に渡ることができる。
今、世の中が大きく移り変わろうとしている。この世界がどうなるか、誰にもわからない。しかし、契約の箱が誰よりも先にヨルダン川に入ったように、新しい時代においても、神が私たちの先を進んでくださる。私たちが恐れ・心配する事柄において、神に先立ち、そこにいてくださる。これは何と心強いことだろうか。みことばによって導かれ、神の後を従って進む者でありたい。
「主の契約の箱をかつぐ祭司たちがヨルダン川の真ん中のかわいた地にしっかりと立つうちに、イスラエル全体は、かわいた地を通り、ついに民はすべてヨルダン川を渡り終わった。」(17)