ヨハネ19:31〜42「血と水の意味するもの」
34節「しかし兵士のうちのひとりがイエスのわき腹を槍で突き刺した。すると、ただちに血と水が出て来た。」
兵士がイエス様の遺体に槍を刺すと、血と水が出て来ました。ヨハネはここに、豊かな意味を見出しました。
「血」はイエス様の十字架の死です。ヨハネは、イエス様が足のすねを折られなかったことを受け(31-33)、イエス様と過越の小羊を重ねます(36)。出エジプトの時、小羊の血を塗った家が罪を罰する災いを免れたように、イエス様を信じた人はその血によって罪の刑罰を免れ、罪の赦しをいただくことができるのです。
また「水」はイエス様の洗礼です。イエス様の遺体が槍で刺されたことにゼカリヤ12:10の成就が見られます(37)。ここに犯した罪に対する「嘆き」を読み取ることができます。私たちが自分の罪に気付き、その罪深さを嘆くことができるのは、神様の恵みです。それは罪への嘆きが、悔い改める心を引き出し、洗礼へと向かわせるからです。サマリヤの女性が自分の罪を嘆き・悔い改めることによって「永遠のいのちへの水がわき出」たように(4:14)、私たちも罪への嘆きを通して神様のいのちをいただき、恐れから自由にされるのです。
アリマタヤのヨセフとニコデモは信仰を隠していましたが、イエス様の十字架から新たな力を得ました。私たちは聖餐式と洗礼式を通して、イエス様の「血と水」が与えられていることを繰り返し覚え、主の弟子として生きる力をいただきましょう。