ヨブ記9章1〜12節、27〜35節
「潔白な罪人」
ヨブは、神様から与えられた試練によって、1日のうちに10人の子どもたち全員と家畜のほとんどを失った。その上、全身に重い皮膚病が広がり、息をするのも苦しくなった。ヨブを見舞いに来た3人の友人は、変わり果てたヨブの姿を見て言葉を失った。
友人たちはヨブを救おうと思ったのだろう。ヨブが試練にあった原因を考え始めた。しかし友人たちの言葉は、ヨブに追い打ちをかけることになる。
9章は、友人ビルダデの言葉(8章)に対するヨブの答えである。ビルダデは「もしあなたが純粋で正しいなら…まことに神は…あなたの義の住まいを回復される」と語る(8:6)。これは言葉としては間違っていない。しかしビルダデの言葉は、因果応報的な意図がある。“これほどの試練には何か原因があるはずだ。ヨブには隠している罪があるに違いない。その罪を認めさせよう”と。
ヨブは反論して「私は潔白だ」(21)と語る。ヨブは以前から、罪の赦しのために全焼のいけにえをささげて、神様を礼拝してきた(1:5)。「私は潔白だ」という言葉は、神様の恵みによって私の罪は赦していただいているはずだ、というみことばの約束に立った主張なのである。
神様はビルダデが語るような因果応報のお方ではない。ヨブが信じたように、赦しの神である。神は実に、人の罪を赦すためにひとり子を世に遣わし、十字架の死によって救いを完成された。
私たちは、ヨブのように神の赦しを信じているだろうか。苦しみや困難があると、“神様に罪を罰せられている?”と思い込んでしまうことはないだろうか。主イエス・キリストの福音を受け入れよう。主イエスによって、あなたの罪は償われている。
人生には苦しみがある。赦された私たちは、ヨブのように“なぜこの苦しみを与えるのですか”と神様に叫ぶことができる。私たちには、安心して叫ぶことのできる神様がついていてくださる。
「しかし、どうして人は自分の正しさを神に訴えることができようか。」(2)