ルカの福音書21章5〜19節

「終わりの始まり」

小林和夫師

 

 説教題を「終わりの始まり」とした。「終わり」とは、“終わっちまった”という虚しいつぶやきではなく、“完成した”という歓喜である。主イエスは十字架上で「完了した」と叫ばれた。これは贖いが完成したことを意味する。しかし世界が贖われるのは将来のことである。私たちも世界も、完成を目指して途上に置かれている。「終わり」に向かって、始まりつつある者たちなのである。

 人々が荘厳なエルサレム神殿に沸き立つ中、主イエスはこの神殿が必ず崩される時が来ると語った。人々が安全確実だと信じているものを指して、地上には確実なものなど何一つないと言い切ったのである。「この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」(33)神のことばだけが、この世で唯一、確実なものである。

 主イエスの言葉を聞いた弟子たちは不安になり、「これらのことはいつ起こるのか」と尋ねた。主イエスは厳しい迫害を予告された。預言者アモスが「神に会う備えをせよ」(4:12)と語ったように、備えがなければ惑わされてしまう。

 私たちは、終りが来ると慌てて逃げ道を探しそうになる。しかし主イエスは「終わりは、すぐには来ません」と言われた(9)。終わりを予期して備えよということである。迫害の時、私たちには証しする役割がある(13)。証しと言われても、何を語ればよいか戸惑う。しかし神様のあわれみを求めて祈る者に、神さまは証しするために一番ふさわしい言葉を与えてくださる(15)。主イエスは私たちと共にいてくださると約束された。主イエスを見上げ、励まされ、勇気づけられて、完成に向かう途上を目指したい。