レビ記23章1〜4節
「主を喜び祝う日」
レビ記23章には、神様がお定めになった礼拝(祭り)について記されている。毎週の安息日の他、春の祭りと秋の祭りがある。
春の祭りは「過越の祭り」と「種なしパンの祭り」から始まる。神様がエジプトで奴隷だったイスラエルの民を救ってくださったことを記念する祭りである。主イエスは“過越の祭りの小羊”として十字架で死なれた。教会では、主イエスによる確かな救いを感謝して聖餐式を行っている。
続いて、大麦の収穫を感謝する「初穂の祭り」が行われた。不思議なことに、主イエスは初穂の祭りの朝に復活なさり、神のいのちによって復活した“初穂”となられた。「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました」(Ⅰコリント15:20)教会ではこれを記念してイースターを祝っている。
初穂の祭りから50日目に、小麦の収穫を感謝し喜びを分かち合う「七週の祭り」が行われた。この時、神様は主イエスの弟子たちに聖霊を分け与えてくださった。教会ではペンテコステとして、助け主である聖霊が与えられたことを互いに喜び合う。
秋の祭りは「ラッパの祭り」から始まる。これは新年を迎える節目であり、ラッパの号令のもと集合して礼拝をささげる。同じ月の10日に「贖いの日」という最も厳粛な時を迎える。いっさいの仕事を休み、身を戒め、自分たちの罪を告白する。大祭司によってすべての罪の贖いがなされる。その月の15日から「仮庵の祭り」になる。“仮庵”の生活をした荒野の旅を記念して、仮庵を作ってごちそうを食べる祭りである。人生が約束の地に向かう旅であることを思い出す時である。教会も「地上では旅人であり寄留者」である信仰を共有している(ヘブル11)。
すべての礼拝(祭り)で、仕事から離れて休む「安息日」が定められている。これにより私たちは、“私たちを生かすのは自分ではなく神である”ことを確認するのである。
「六日間は仕事をしてもよい。しかし七日目は全き休みの安息、聖なる会合の日である。あなたがたは、いっさいの仕事をしてはならない。この日はあなたがたがどこに住んでいても主の安息日である。」(3)