レビ記9章1〜7節

「罪が贖われる道」

 

 レビ記9章は、大祭司となったアロンが初仕事として礼拝を執り行う場面である。祭司は神様と人々の間に立ち、人々を代表して神様にささげ物をささげる務めを行う。神様は、礼拝でささげ物をする順序についてモーセに命じた。この順序に注目すると、今日、私たちが神様を礼拝することに通じる一つの流れを見出すことができる。

 まず「罪のためのいけにえ」をささげた。礼拝は神様の御前に進み出て、神様にお会いする時である。その時、自分の罪が問われる。そこで「罪のためのいけにえ」を最初にささげて、神様から罪の赦しを受け取ったのである。私たちも礼拝で罪が示されることがあるが、その場で告白し、赦しを得ることができる。

 次に「全焼のいけにえ」と「穀物のささげ物」をささげた。これは、日毎の食べ物と必要が与えられ、神様に守られた感謝を表している。同時に、これは自分のすべてを神様に任せる意味があった。礼拝では感謝するだけでなく、困っていることや悩んでいることを神様に打ち明け・ゆだねて・祈ることができる。

 最後に「和解のいけにえ」をささげた。これは新改訳2017では「交わりのいけにえ」となっているように、神様との交わりを表すものである。神様はみことばの宣教(説教)において語ってくださる。みことばが語られるところに聖霊が働いてくださり、聴く私たちに神様の心がわかるようにされる。そして神様を信じて生きるための力が与えられる。

 私たちは誰でも、礼拝でみことばによって励ましを受けたいと願っている。励ましは、この礼拝順序によれば「和解のいけにえ」に当たる。しかし礼拝で励ましを求めるだけであれば、バランスを欠いた礼拝になってしまう。みことばによる励まし(和解のいけにえ)の前に、自分の罪を省みて示される罪を告白すること(罪のためのいけにえ)、神様に心を開いて感謝と祈りをささげること(全焼のいけにえ・穀物のささげ物)があることを覚えたい。神様の御前に罪を顧み・心を開く時、神様は御心を与えてくださる。

 

「祭壇に近づきなさい。」(7