ローマ1章1〜17節

「福音を恥としない」

 

 「ローマ人への手紙」は、パウロがローマにある教会に宛てて書き送った手紙である。手紙の冒頭で、パウロは自分の名前のすぐ後に「キリスト・イエスのしもべ」と続けた。“私パウロは、イエスの奴隷です”という自己紹介である。“奴隷”という言葉に良いイメージを持つ人はいない。しかしパウロは自らを“しもべ”と呼ぶことで、主人であるイエス・キリストを指し示している。

 

 主イエスは全人類の歴史において、その昔から神が約束しておられた救い主である。神の御子でありつつ人として生まれ・あの十字架の死と死者の中から復活で、公に救い主として示された。パウロは主イエスに救われ、主イエスを伝える務めを託された(5)

 

 その務めの故に、パウロはローマの教会を訪問することを願った。福音を語って教会を強め、メンバーとの交わりを通して励まされ、幾人かでも主イエスに導きたいと思っていた(1113)。

 

 パウロはこの務めを「返さなければならない負債」と語る(14)。この務めは“好きでやっていること”ではなく、“しなければならないこと”であると、強い使命感をもっていた。どんなに人々から反論されたり・反感を買ったり・危険な目に遭っても、主イエスを伝える責任をパウロは強く感じていた。

 

 パウロは「私は福音を恥とは思いません」と語る(16)。もし私たちが、福音を世の中の宗教の一つとして見てしまったり、いいね!の数や視聴回数で福音を査定するなら、福音を恥じるだろう。

 

 しかし福音を恥じない。福音は「救いを得させる神の力」であり、主イエスを死者の中からよみがえらせた復活の力である。福音は“神を持たない人”に信仰を与えて、“神を信じる人”にする。「義人は信仰によって生きる」(17)という、死者の中からの復活に相当することが、自分の人生で現実となる。そのようにして主イエスは「私たちの主イエス・キリスト」になってくださった。

 

 世の中がどのように変わっても、私たちには主イエスがおられる。死からよみがえられ、天の御座におられるお方が、私たちの救い主である。福音という神の力によって、私たちも「福音を恥とは思いません」と告白させていただけるのである。