使徒の働き2章1〜14節
「賜物としての聖霊」
主イエスは過越の祭りの時期に十字架で死なれた。それから五旬節の祭り(七週の祭り)までの50日間、エルサレムでは主イエスが復活したというニュースで持ち切りだった。40日間、主イエスは弟子たちに現れてご自分が生きておられることを示した後、天に上げられ(昇天)、天の御座に着座された。
弟子たちは聖霊を祈り待ち望んでいた。それは、五旬節の祭りの日に起こった。突然、激しい風のような轟音がしたかと思うと、炎のように分かれた舌が弟子たちの上にとどまった。すると突然、他国の言葉で神様の御業を語り出した。群衆は物音のために集まったが、弟子たちが他国の言葉で語るのを聞いて、信じられない程に驚いた。中には酒に酔っているとあざける者たちもいた。
ペテロは、この出来事を群衆に説明した。自分たちは聖霊が与えられたこと、それはヨエルの預言の成就であること、主イエスは死と復活により救い主であると示されていること。この説教に心を刺された人々は主イエスを信じ、三千人が弟子に加わった。
あの時の“轟音”と“他国の言葉”は、この世に対する神様からのメッセージであった。神様は聖霊によって教会でお働きになることを、世に証しされたのである。「ガリラヤの人」(ガリラヤ訛りの人)と呼ばれる人々に聖霊が注がれ、名もない人々が旧約時代の預言者のような役割を果たしていく。神様はそのような新しい時代が到来したことを、あの“轟音”と“他国の言葉”で通知された。
神様は今も、教会において働いておられる。名もなき人が神の言葉を語り、みことばによって造り変えられる。名もなき人が福音を語り、主イエスを信じる人が起こされる。名もなき人の祈りが人を支え、回復させる。あのペンテコステの日に、神様が教会で働いてくださったように、神様は今でも、“主イエスを中心とした私たちの交わり(=教会)”において働いていてくださる。
私たちも心を一つにして集まり、みことばを聴き、交わりを通して助け合い、福音を宣べ伝えよう。主は、ここにおられる。
「主も毎日、救われる人々を、仲間に加えてくださった。」(47)