使途の働き2章37〜42節
「祈りによって結ばれる教会」
ペンテコステの出来事は、エルサレムにいた人々に大きな衝撃を与えた。「七週の祭り」のためにイスラエル国内外から巡礼者たちがエルサレムに集まっていたが、彼らは主イエスの弟子たちが聖霊に満たされて、外国語で神を賛美する光景を目にした。その日、3000人ほどの人々が主イエスを信じて洗礼を受けた。
主イエスを信じた人々は、「賜物として聖霊を受ける」ことが約束された。「賜物」は“神からの愛のこもった贈り物”である。魔術師シモンのように、金を積んでも聖霊を得ることはできない(使徒8章)。聖霊は人に、神を信頼することを教えて祈りへと導く。私たちが「父なる神さま」と祈る時、そこに聖霊の働きがある。聖霊と祈り、これは神が愛を込めて贈ってくださった賜物である。
主イエスの弟子たちは、「使徒たちの教え」を堅く守っていた。「使徒たちの教え」とは、福音のことである。福音はみことばの説教だけでなく、教会の交わりを通して学ぶべきものである。私たちも、礼拝と教会の交わりを通して福音を学んでいる。
また彼らは「交わり」をした。「交わり」はコイノニアという言葉で、“一緒に受け取る”という意味である。主イエスを信じるとは、“主イエスと私”という1対1の関係でもあるが、主イエスを教会の兄弟姉妹と一緒に受け取り、共に喜ぶことでもある。
さらに彼らは、パンを裂きをしていた。これは今日の聖餐式に当たる。教会は聖餐式によって、福音を体で表している。すなわち、“私たちは罪人の集まりであるが、主イエスによって罪を赦された者たちである”というメッセージを証ししている。
最後に彼らは、「祈りをしていた」。教会は、祈る人々の集まりである。もし教会が祈らなくなったら、それは“祈っても意味がない”という消極的な考えに教会が支配されていることを意味する。祈りに期待する前向きな姿勢は、祈りによって育まれる。
私たちは、祈りによって結ばれる教会として歩みたい。小さな祈りの交わりが教会に生まれること、祈り会に人が加わることを願っている。神は私たちに祈ることを期待しておられる。教会で共に祈るという祝福が、豊かに与えられますように。