出エジプト記5章1〜23節
「主とは何者か」
モーセはエジプト王パロに語った。「イスラエルの神、主がこう仰せられます。『わたしの民を活かせ、荒野でわたしのために祭りをさせよ。』」(1)しかし「主」という名前の神を知らないパロは「主とはいったい何者か」とモーセたちの言葉を退けた。第一回目の交渉は失敗に終わった。
主とは何者か。神様は「主」という名前と共に、「『わたしはある』という者」という名前を名乗られた(3:14)。「わたしはある」とは、“どんな時にも・どんな所にも・そこにおられる”ということである。主なる神様はその時・その所でなされる御業によって、神さまが確かにそこにおられることが明らかにされる。エジプトに対する10の災いは、まさしく神様が今・そこにおられることを証明するものであった。
パロはレンガ作りの重労働をさらに厳しくした。イスラエルの民は苦しめられ、モーセを恨んだ。それなのに神様は沈黙している。モーセは「あなたは、あなたの民を少しも救い出そうとはなさいません」(23)と嘆いた。窮地に追い込まれたモーセ。それでもなお神様を信じて待つように、神様はモーセを訓練しておられた。
モーセは10の災いがくだるまで、忍耐しなければならない。神様は「わたしがパロにしようとしていることは、今にあなたにわかる」(6:1)と言われた。「今にあなたにわかる」。神様の時は必ず来る。それまでは忍耐しなければならない。神様の時が来るまで信じていられるように、忍耐する力を主に祈り求めよう。
「神はモーセに仰せられた。『わたしは、「わたしはある」という者である。』」(3:14)