出エジプト記13章1〜16節
「贖いのしるし」
神様はエジプトからイスラエルの民を解放すべく、エジプトに対して様々な災いを送った。水が血にかわり、かえるが溢れ、ぶよ・あぶが異常発生した。エジプトの家畜だけが疫病で死んだ。エジプト人に膿の出る腫物が伝染した。激しい雹は農作物を打ち倒し、その残りをいなごが食い尽くした。真夜中のような暗闇が国中を覆ったが、イスラエルの民が住む地域は平常だった。
神様はいよいよ究極の災いを下す段階になり、イスラエルの民に呼びかけた。羊を屠ってその血を扉の鴨居と門柱に塗れ、と。血がなければ、その家には死が訪れる。もし血が塗ってあれば、その家の初子は死なずに済む。家族で羊と「種なしパン」を食べて、神様が災いから救ってくださったことを感謝しなさい、と。
こうして神様は、イスラエルの民が救いの奇跡に加わるように招かれた。「観客」としての招きではなく、「出演者の一人」としての招きである。神様がくださる救いは、“神様が全部やってくれるから、ただ見ているだけでいい”というものではない。主イエスは「時は満ち、神の国は近くなった。悔い改めて、福音を信じなさい」と言われた(マルコ1:15)。私自身が「悔い改めて福音を信じる」ことを行うことによって「神の国」に入る。こうして、神様が動かしておられる“救いのストーリー”の中に主体的に加わることを通して、神様の救いが私に与えられるのである。
エジプト中の家々に死が訪れた時、エジプト人たちはイスラエルの民を急き立てて出て行かせた。イスラエルの民は時間がなかったので、パン種(イースト菌)を入れないパンを作って食べた。これが「種なしパン」である。「種なしパン」は、慌ただしさと同時に神様の救いが訪れたことを告げる“喜びのしるし”となった。
今の時代、主イエスは“喜びのしるし”として、洗礼式と聖餐式を与えておられる。私たちはこれらを通して「主が私にしてくださったこと」を思い返し、自分が神様の救いのストーリーにすでに招かれていることを喜ぼう。
「これは、私がエジプトから出て来たとき、主が私にしてくださったことのためなのだ。」(8)