創世記35章1〜15節

「あなたはイスラエル」

 

 ヤコブは若き日に、双子の兄エサウを騙して神様の祝福を横取りした。エサウに殺されることを恐れたヤコブは、おじのラバンのもとに身を寄せた。20年後、ヤコブはついにラバンのもとを離れ故郷に帰る決意をするが、エサウとの再会に恐れを抱いた。

 ヤコブは“謝罪できるか”という自身の課題と“赦してもらえるか”という恐れを抱え、自分も神様も見失っていた。そこで神様は「ある人」となってヤコブに近づき、ヤコブと取っ組み合いをすることでヤコブの目を覚まさせようとされた。

 神様は2つのことをヤコブに気づかせようとされた。1つは謙遜である。「ある人」はヤコブの足の付け根を打って足に力が入らないようにされた。ヤコブは必死に「ある人」にしがみつく。「ある人」は「私を去らせよ」と命じるが、ヤコブは「祝福してくださらなければ離しません」と応えた。こうして神様は“これからも神様の祝福にしがみついて謙遜に歩め”と教えてくださった。

 もう1つは、新しいヤコブの姿である。この時ヤコブは「イスラエル」という新しい名前をいただく。イスラエルとは「神と戦う」という意味である。かつては兄エサウの祝福を“横取り”したヤコブであったが、神様が時間をかけてヤコブと戦ってくださったおかげで、ヤコブは「祝福してくださらなければ離しません」と神様の祝福を真正面から求めるように造り変えられた。

 神様は「立ってベテルに上り」なさい(1)とヤコブに命じた。ベテルは神の家という意味である。神様は“神の家に住みなさい、そしてイスラエルという祝福に向き合って生きなさい”と導かれた。

 私たちは“強い自我”を持ち合わせている。しかし神様はそんな私に対しても「イスラエルの神」でいてくださり、私を見放さず私と向き合ってくださる。神様の祝福を聴くだけで終わらず、“神様を家にして、神様の祝福で生きていこう”と決意し、現実的な一歩を踏み出す時、神様の祝福は私の人生において花開き実を結ぶ。

 

「神は彼に仰せられた。『あなたの名はヤコブであるが、あなたの名はもう、ヤコブと呼んではならない。あなたの名はイスラエルでなければならない。それで彼は自分の名をイスラエルと呼んだ。』」(10